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東京地方裁判所 昭和53年(モ)3543号 決定

申立人 田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役 平林忠雄

右代理人弁護士 石川泰三〈外一三名〉

主文

本件各忌避申立を却下する。

理由

第一忌避申立の趣旨および理由

その詳細は、別紙「鑑定人忌避申立書」および「申立理由補充書」と題する書面記載のとおりであるが、要するに、民訴法三〇五条の解釈として、(イ)当事者の一方と密接な交際または激しい反感があること、(ロ)他事件に付き当事者の一方からの依頼により私的な鑑定をし報酬を受けたこと、(ハ)当該事件に関し当事者の一方からの依頼により裁判外で鑑定をしたこと、(ニ)鑑定資料の蒐集方法が公正を欠くこと(当事者の一方のみから資料の提供を受けること)などは、みな忌避事由に該るとされるところ、鑑定人甲野一郎、乙山和夫、丙川雄一の三名(以下「対象鑑定人ら」という)は、いずれも医師・公務員であるが、彼らの従前からのスモン訴訟との関わり合いからみて、中立的立場にあるとは到底いいえず、右(イ)に該当するような一方当事者(原告)との間に密接な交渉があり、また右(ハ)(ニ)に類する事由もあることが明らかである、というのである。よって、以下、対象鑑定人らに対する忌避事由の有無につき検討する。

第二当裁判所の判断

一  対象鑑定人らにつき忌避申立のなされた事件

1  申立人は、対象鑑定人らにつき忌避申立をするにあたり、当該事件の表示として、単に「昭和四七年(ワ)第二〇〇一号外」とし、当該事件の当事者の表示として、「原告熱海チイ外」、「被告国外」とし、申立人自身については「右事件被告」と表示する。これによると、原告熱海チイについての右事件は別として、当庁係属の多数事件のうち何れについての忌避申立であるのか、前記の記載のみを以てしては事件としての特定を欠くものというほかはない。

2  申立人は、対象鑑定人らに対する忌避申立の理由の冒頭において、「頭書事件(いわゆるスモン訴訟)に於いては、被告国申請にかかる鑑定に付き訴外祖父江逸郎外一四名が鑑定人として選任された」と主張する。しかしながら前掲昭和四七年(ワ)第二〇〇一号事件を含めて、当庁係属のいわゆるスモン訴訟事件のいずれにおいても、被告国による鑑定の申請なるものは存在せず、したがってまた被告国の申請についての鑑定人の選任もありえない道理である。また、申立人は、対象鑑定人らについての個別的忌避理由において、たとえば、「鑑定人甲野は、広島地方裁判所に於て本件原告ら全員の集団検診を実施した理由として」云々というが、右にいわゆる「本件原告」とは、もとより当庁係続事件の原告ではありえないのであって、対象鑑定人らに対する忌避事由の有無を検討するにあたっては、何が「本件」であり、何が「他事件」であるかが明確に認識されなければならない。

ちなみに、申立人の提出にかかる「鑑定人忌避申立書」の記載が、不動文字の打刻により、いわゆるスモン訴訟の係属する裁判所のいずれにおいても提出可能な文書として考案されたものであることは、申立書の文面自体からして看易いところであるが、いやしくも当裁判所において選任された鑑定人に対する忌避は、当裁判所に係属する特定の事件に即して申し立てられ、かつ審究さるべきを当然とする。

3  申立人の鑑定人忌避申立が、その申立書の記載自体において事件の特定に欠けることは前述のとおりであるが、申立人は、昭和五三年六月一三日付申立理由補充書において、対象鑑定人らにつき別表(一)ないし(三)を作成し、「別表(一)(二)(三)記載の原告との関係」を論じているので、同記載の原告らを当事者とする後記事件について、対象鑑定人らに対する忌避の申立があったものとして扱い、鑑定人忌避申立書における「申立の理由」冒頭の「被告国申請にかかる鑑定に付き訴外祖父江逸郎外一四名が鑑定人として選任された」とする記載の欠陥は問わぬこととする。ちなみに、別表(一)ないし(三)記載の原告関係の事件は、次のとおりである。

昭和四七年(ワ)第二〇〇一号(別表(一)~(三))、同第八五七六号、同第一一〇一〇号、同四八年(ワ)第四二九号(以上、別表(三))、同第三三九九号(別表(二)、(三))、同第八四〇二号(別表(二))、同四九年(ワ)第二一一一号、同第二八四八号(以上、別表(三))、同第八〇六六号(別表(二)、(三))、同五〇年(ワ)第一五五六号(別表(三))、同五一年(ワ)第二六三四号(別表(二)、(三))

二  他庁係属事件に関する「個別的忌避理由」について

1  申立人は、(一)鑑定人甲野につき、同人は国立呉病院内科医長の地位にあるが、スモンの会全国連絡協議会(以下「ス全協」という)系の弁護団、原告団とは密接な関係を保持してきたものであるとして、「広島スモン訴訟に於けるいわゆる『甲野統一診断書』の作成」を、(二)鑑定人乙山和夫につき、同人は鹿児島大学医学部第三内科教授の地位にあるが、スモン訴訟が提起されて以来ス全協系の原告団、弁護団とは極めて密接な関係を保持してきたものであるとして、「福岡統一診断への関与」、「静岡地区での集団検診の実施」、「原告側のシンポジウムへの参加等」を、また(三)鑑定人丙川につき、「前橋スモン訴訟に於ける統一診断の実施」を、いずれも対象鑑定人らの「別個的忌避理由」として論じている。

2  よって検討するのに、鑑定人甲野の「広島スモン訴訟におけるいわゆる『甲野統一診断書』の作成」、鑑定人乙山の「静岡地区での集団検診の実施」が、それぞれ広島地裁係属事件、静岡地裁係属事件につき、「当該事件に関し当事者の一方からの依頼により裁判外で鑑定をなしたこと」にあたるか否かは別論として、これが前記の当裁判所係属事件につき「当該事件に関し当事者の一方からの依頼により裁判外で鑑定をなしたこと」にあたらないことは、言を俟たないところである。

また、申立人は、対象鑑定人らに対する「個別的忌避理由」において、対象鑑定人らとス全協との密接な関係を云々するが、昭和五三年六月一三日付申立理由補充書末尾添付の別表(一)ないし(三)掲記の原告ら(以下「別表原告」という)と所論ス全協との関係については、これを明らかにする資料がない。申立人は、「ス全協には、東京地裁第三グループ、福岡、金沢、広島などのスモン原告団が参加しておる」というが、前記別表原告の多数は、そもそも所論第三グループに属しないのであって、ス全協についての申立人の主張は、これらの原告についてはおよそ妥当しえないものであるのみならず、仮に別表原告中右第三グループに属する者が所論ス全協の構成員であるとしても、申立人指摘の診断書等については後述のとおりで、その他一件記録に徴し、未だ対象鑑定人らが右第三グループ所属者につき事件に関し誠実に鑑定することを妨げるべき事情を認めるに足りない。

三  当裁判所における鑑定採用の経緯について

1  当裁判所は、昭和五一年三月三一日、当庁係属の多数原告にかかるいわゆるスモン訴訟の個別の審理につき当事者双方の意見を聞いたうえ、同年五月一二日、鑑定を採用した。問題はカルテの取寄に端を発した。

昭和四八年六月八日当裁判所が弁論終結時と同一の構成による最初の口頭弁論期日を迎えた際、当庁に係属するスモン訴訟の原告総数は約一三〇〇名に上ったが、その個別的因果関係および損害の程度についての審理方法は、当事者双方にとっての、いわば審理当初からの最大の関心事ともいうべきものであり、大量原告による集団訴訟の前途について、何びとも確たる見通しを持ちえなかったというのが実情といってよいであろう。昭和四九年より同五一年四月にかけて、キノホルムとスモンとの間の一般的因果関係および被告らの責任についての人証による審理が行なわれたが、この間、個別の審理につき被告申請のカルテの取寄に関して、これを是とする被告と非とする原告との意見の対立は止むことなく、前記の総論的審理の終了を目前にした同年三月当時の段階においてなお、その状況に変わりはなかった。ここにおいて、各論的審理の方策いかんにつき当事者双方の意見を聴取するため開かれた同月三一日の弁論期日において、原告申請による鑑定という意見が公式に現われ、当裁判所は同年五月一二日、鑑定の採否について改めて当事者双方の意見を聴取したうえ、当庁係属原告全員についての鑑定を採用した。鑑定事項は、各原告がスモンであるか否か、スモンであるとすれば症状の程度いかん、の二項目である。

2  要するに、当裁判所が原告全員について鑑定という異例の方法を採用したのは、被告の申請にかかるカルテの取寄嘱託が、原告の一致した反対により、たとえ採用してもその実効を挙げえないと判断されたことによるのであって、鑑定に際し、いかなる資料を必要とするかの判断は鑑定人に委ねられるが、カルテを含めて鑑定人がこれを必要としたときは、原告において積極的に協力することが同意された。鑑定の採用は、原告第一、第二グループについては、その申立によった。

鑑定人の人選につき、当裁判所は、スモン調査研究協議会または特定疾患スモン調査研究班のメンバーないしその共同研究者のうちから一五名を選任した(昭和五一年度スモン班の顧問一名、臨床分科会に属する班員一三名全員および同分科会の協力班員一名の計一五名である)。キノホルムとスモンとの間の一般的な因果関係については格別として、前記の鑑定事項については、これらの人びとによる共同鑑定以外に、信頼度の高い鑑定結果は得られないと考えられたからである。鑑定人の人選については、すべての被告を通じて異存の旨の申出のなかったことがここに付記されるべきであろう。

3  この鑑定採用当時、当庁係属原告の総数はすでに一七三〇名を超えた。訴額多くは五〇〇〇万に及ぶこれら多数原告の少なからぬ者が老令、かつ、長期病床にあるという事案において、可及的速やかに、しかも適正な結論を得るためには、他に代案のない審理方針であったと考える。

四  鑑定人たる医師と訴訟当事者たる患者との関係についてこれら一五名の鑑定人は、前述のように、協議会またはスモン班のメンバーないし共同研究者であって、昭和三〇年代の後半から四〇年代の前半にかけてわが国に多発したスモンの病因を、臨床医として探究して成果を挙げた人びとであり、したがってその研究成果としての一定の病因論に異を唱える者からは、必ずしも歓迎されないかも知れないともいえるが(ちなみに、申立人は鑑定人中に原告側証人経験者七名があるというが、当庁におけるスモン薬害訴訟の原告申請証人となったのは椿忠雄一名のみであり、もし他庁係属訴訟における証人をいうならば、前記鑑定人中に被告会社申請による証人経験者の含まれることは、申立人のよく知るとおりである)、当庁係属訴訟の各原告が果してその主張の如くスモンであるか否か、またスモンであるとすれば症状の程度いかんの二点については、臨床経験豊かな“スモン専門医”ともいうべき人びとの中から鑑定人を選ぶほかなく、とすれば、その人びとはいわば必然的に、協議会またはスモン班のメンバーないし共同研究者として病因探究に尽粋した人びとということにならざるを得ないのである。そして、これらの人びとは、単に机上の研究者として病因探究に従事したというのではなく、臨床医として実地の診療に従事した人びとであるから、現に訴訟当事者たる特定の原告と、医師―患者の関係にあった者であることは避け難いところである。

他面、スモンなりや否やの個別的判定もさることながら、スモンと認められた場合の症度の判定は、多数の原告全員について共通の基準によるものでなければならず、しかも、その基準が必ずしも数額的に設定され難いものである以上、同一体による判定が望みうる最善の途とならざるを得ない。ここにおいて、当裁判所は、多数専門医による共同鑑定を是として、特定原告と一部鑑定人との間の医師および患者としてのやむをえざる特殊の人的関係は、多数鑑定人による共同鑑定という作業の過程において止揚さるべきものとしたのである。

五  別表原告につき申立人の主張する忌避事由について

1  以上の次第で、当裁判所は、昭和五一年五月一二日、当庁係属原告全員について鑑定を採用し、同月一八日および二一日の両日をもって鑑定人の宣誓手続を了し、その後、当事者の側からする資料の提出をまって当庁における鑑定作業が開始されることとなった。以後、共同鑑定人の中にあって、当裁判所における裁判上の鑑定のほか、裁判外における私的鑑定と目される行為の厳に慎しむべきことは勿論であるが、前記の医師―患者の関係からして、担当医としての投薬証明書、診断書の作成が必要とされる場合のありうることは否定できず、鑑定人としての制約と医師としての職責との限界には、微妙な点があると考えられる。

2  以上により、当裁判所は、鑑定人と各個別原告との間の、医師―患者の関係からして必然的にありうる投薬証明書ないし診断書の作成については、前記説示にかかる本件の特殊事情に鑑み、そもそも忌避事由たりえないものと考えるのであって、これに対し、医師の職責は職責として、鑑定人としての制約の限度を超える裁判外の私的鑑定と目すべきものに該当するか否かの観点から、別表原告につき申立人の主張するところを検討することとする。

(一) 別表(一)の原告―鑑定人甲野一郎関係

甲個二四四号証の五(昭四六・七・一三付、原告鈴木眞子)、同二五二号証の一(昭四七・一・七付、原告江島満明)、同二六〇号証の五(昭四六・一一・一付、原告三浦憲一)は、ごくありふれた医師の診断書ないし経過報告書にすぎない(同二六〇号証の四は原告の陳述書である。)。

次に、(1)甲個第二四五号証の二(昭五二・六・五付、原告島本ハルエ)、同第二四九号証の一(同・五・二四付、原告岩田カズヨ)、同第二五四号証の一(同・五・一三付、原告沖本治郎)、同第二五六号証の一(同・五・二付、原告虎尾タカエ)、同第五〇〇号証の一(同・五・一九付、原告横井茂子)は、いずれも、診断名および入通院期間の記載から成る診断書ならびに既往歴、スモン発病当時の経過、現在の症状およびスモン診断の根拠から成る病状経過報告書の合体したものであり、(2)甲個第二四八号証の三(昭五二・六・一四付、原告藤野シゲヨ)、同第二五〇号証の二(同年付、原告川崎政代)、同第二五二号証の四(同・四・一六付、原告江島)、同第二五三号証の二(同・五・一四付、原告谷口悦子)、同第二五九号証の三(同・六・二付、原告柴田ヲシズ)は、いずれも、おおむね既応歴、スモン発病当時の経過、現在の症状および入通院期間の記載から成る病状経過報告であり(なお、申立人は言及しないが、同第二六〇号証の二、同第四九九号証の三も同様である)、(3)甲個第二五〇号証の一(昭五二・五・七付、原告川崎)、同第二五二号証の二(同・四・一六、原告江島)、同第二五三号証の一(同・五・一四付、原告谷口)、同第二五九号証の二(同・六・二付、原告柴田)、同第四九九号証の二(同・六・一二付、原告村田厚子)は、いずれも、診断名および診断の根拠の記載から成る診断書であり(なお、申立人は言及しないが、同第二六〇号証の一も同様である)、以上いずれも鑑定人としての宣誓手続の前後にわたって作成されたものであるが、これらの診断書、病状経過報告の記述の対象となった原告は、すべて鑑定人甲野の勤務する国立呉病院内科病棟の入院患者(原告谷口のみは通院患者)であることが関係資料により明らかであって、各書面の記載も結局、従前から患者の治療にあたってきた医師として、病状の経過をまとめて記述したものにほかならず、これに付された患者がスモンである旨の意見も、当該患者の治療経過から得られた所見であるにとどまり(一五名の鑑定人による共同鑑定とその資料および鑑定基準において同質でないこと勿論である)、本件共同鑑定に対比して、これをもって裁判外の私的鑑定と目するに値せず、他方の当事者である申立人の感情は別として、鑑定人甲野につき、前記共同鑑定人の一人として「誠実ニ鑑定ヲ為スコトヲ妨クヘキ事情アル」ものとは認め難い。

(二) 別表(二)の原告―鑑定人乙山和夫関係

甲個第四六二号証の四(昭四六・八・三〇付、原告金丸志げ治)は、鑑定人乙山の東大病院神経内科在勤中の投薬証明書、同第五一一号証の二(昭四七・一一・一五付、原告甲斐東彦)は、鹿児島大学附属病院第三内科で加療中の患者についての診断書、同第一〇一五号証の三(昭四八・一・一四付、原告石脇直)は、「当分の間入院加療を必要と認め」る旨の簡単な病状報告、同第一六九九号証の二(昭四七・五・四付、原告植木ハルノ)は、東大病院神経内科における加療の証明書であって、何ら異とすべき点はない。

次に、甲個第一二九二号証の六(昭四八・六・一九付、原告吉永イツヱ)は、昭和四七年一月、鹿児島大学附属病院第三内科において診察を求めた患者についての病状記録(同号証の一による)、同号証の七(昭五二・五・一六付、同原告)は、右患者についての現状の診断書であり、甲個第一四五八号証の八、九(昭四九・九・七付、原告斎野ミツ子)は、前記第三内科において診察を求めた患者についての診断書および病状記録、同第一四五九号証の三(昭四九・一一・二七付、原告坂下)は、一定の書式による身体障害者診断書、同第一六九九号証の五(昭五二・五・五付、原告植木)は、前記東大病院神経内科において診療にあたった患者についての病状記録である。

要するに、以上いずれも、通常の医師―患者の関係における作成文書の域を越えるものではなく、したがって、とうてい裁判外における私的鑑定とはいい難く、鑑定人乙山につき前記共同鑑定人の一人として「誠実ニ鑑定ヲ為スコトヲ妨クヘキ事情アル」ものとは認められない。

(三) 別表(三)の原告―鑑定人丙川雄一関係

甲個第一六六号証の三(昭四六・一一・三〇付、原告小高やゑ)、同第八四〇号証の五(昭四八・一〇・七付、原告植松和子)、同第九一三号証の七(昭四七・八・五付、原告田村すみ子)、同第一〇二六号証の三(昭五一・七・二四付、原告高井道俊)、同第一四四五号証の四(昭四九・三・三〇付、原告宮本利高)は、いずれも鑑定人丙川の勤務する都立府中病院で受診した患者について、同第二七九号証の三(昭四六・二・九付、原告菅原勇)は同鑑定人が勤務していた東北大学附属病院鳴子分院に入院した患者について、同第四六三号証の六、七(昭四八・六・二付、同五二・五・三一付、原告斎藤みさを)、同第五七六号証の五(昭四八・一〇・一八付、原告上野シン)、同第八二九号証の二(同・六・二一付、原告増田ヤスヨ)、同第九九〇号証の四(同・一・一七付、原告穴水阿易子)、同第一四一〇号証の一(同・一〇・二付、原告相川和加子)、同第一四四四号証の三(昭四九・八・二〇付、原告星野昭三)、同第一五一九号証の四、五(昭四六・一一・一八付、昭五〇・三・六付、原告西村チエ子)、同第一六七七号証の三(昭五〇・六・二四付、原告花城節)は、いずれも府中病院の通院患者(通院の事実は上野、星野、花城については当該号証の一、相川については当該号証の四による)について、同第五〇一号証の四(昭四九・一〇・九付、原告西中淺三)は、府中病院への通院を希望して受診した患者(同号証の一による)についての、以上いずれも簡単な診断書(表題が「病状記録」とあるもの二通を含む)であって、通常の医師―患者の関係における文書にすぎないことが明らかである。また、甲個第一七〇号証の六(昭四九・七・二四付、原告池田たきの)、同第一〇一九号証の三(昭四五・五・二六付、原告吉田ヤエ子)は、いずれも一定の書式による身体障害者診断書であって(なお、申立人は言及しないが、同第四六三号証の三、同第一四一五号証の五、同第一四四四号証の五、同第一六七七号証の五、同第一六八四号証の四も同様である)、その内容は前記同様なんら特異の記述は認められない。

次に、甲個第一六七号証の三(昭五二・五・二四付、原告笠井操)はやや詳細な診断書であるが、その記述は昭和四七年九月以降府中病院に入通院中の患者についてのものであること、同第一七〇号証の三、五(昭四七・二・三付、同五二・五・二六付、原告池田たきの)は、昭和四七年一月以降同病院に通院中の患者についての病状記録および簡単な診断書であること、同第六五五号証の六(昭五二・七・二一付、原告中村ツナ)は、昭和四七年五月以降同病院に入通院中の患者についての診断書であること、同第一四一五号証の四(昭五二・九・三付、原告館野フク子)は昭和四九年頃以降同病院中に通院中の患者についての診断書であること、同第一六八〇号証の一、三、四(昭四七・八・三付、同・九・二一付、昭五二・八・四付、原告飛鋪トシ)は、昭和四七年七月以降同病院に通院中の患者についての病状記録または診断書であること、同第一六八四号証の三、五(昭五〇・一・二一付、同・一・二二付、原告吉田美知子)は、昭和四六年一二月以降同病院に通院中の患者についての診断書または病状記録であることが、関係資料によって明らかであり、その内容がやや詳細にわたるものについても、結局、従前から患者の治療にあたってきた医師として、病状の経過をまとめて記述したものにほかならない。

要するに、以上いずれも、通常の医師―患者の関係における作成文書の域を越えるものではなく、したがって、裁判外における私的鑑定とはとうていいい難く、鑑定人丙川につき前記共同鑑定人の一人として「誠実ニ鑑定ヲ為スコトヲ妨クヘキ事情アル」ものとは認められない。

3  よって、申立人の対象鑑定人らに対する忌避申立はいずれも理由がないので却下することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 荒井眞治 裁判官鎌田義勝は当裁判所裁判官の職務代行を解かれたので署名捺印することができない。裁判長裁判官 可部恒雄)

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